北海道の地元、北広島で取材を行う機会があった際、特に印象に残ったことがひとつあります。それはJRが遅れた場合、地元の人々にとってはいわば終わりを告げるような危機感が生まれるということでした。ある日、時間通りに電車が来なかった時、周囲に溢れた静寂と、その後に続く現実への苦悩の表情。これは私の所感だけではなく、地元の方々を見ていると皆が共感していることだと感じられました。北広島は、札幌から郊外に位置していて、特急列車が停まる数は僅か。交通インフラが未充分なこの地で、JRの遅延はただの不便ではなく、人々の生活リズムを大きく狂わせる現実の問題なのです。地元の人々が電車に乗るたびに、予定が狂うリスクと向き合っていることに気づきました。特に仕事や学校といった生活の大切な場面で、予定通りに動けない不安は計り知れないものです。一度JRが遅れると、その日のスケジュールは大幅に狂い、それが人々の生活に大きな影響を及ぼすのです。この事実に気づいた時、JRが地元の人々にとってどれほど重要な存在かを実感し、その役割の大きさに改めて驚かされました。
JRの遅延がもたらす混乱
ある日のこと、私は取材の一環として北広島の朝の通勤ラッシュの様子を撮影するために駅に出向いていました。しかし、まさかの出来事が待ち受けていたのです。JRが遅れるという事態が発生したのです。この日は運悪く北広島へ向かうJRが遅れてしまったのです。一瞬にして駅内は人々の慌ただしさと混乱が交錯する空間へと変わりました。いつもならば無機質な駅構内が、忽然と息をつく間もないドラマを生み出すような風景に変わったのです。
札幌への通勤、通学を予定していた人々が一斉に、あたふたと駅構内を駆け巡ります。それぞれが、現状を把握しようと、どのように対応すべきかを必死に考える様子が目に飛び込んできました。人々の表情は孤軍奮闘の中にも一丸となって試練を乗り越えようという決意が感じ取れるものばかりでした。
そして、ここに至って私は強く感じました。これが北広島の現実なのだと。JRの遅れが生活へ与える影響は絶大であり、予想外の事態に遭遇した時の動揺や困惑は計り知れません。しかし、それでも人々は困難を前に途方に暮れることなく、次の一手を見つけ出そうとしました。その姿は、日常の中にも存在する生きる力、人々の逞しさを物語っていました。

地元の人々の危機感
地元の人々と話をしてみると、JRの遅れは”終わり”という単純明快な言葉で形容される程、その深刻な危機感が伝わってきました。こんなにも人々の生活が、ひとつの交通手段に左右されているのだと実感しました。しかし、その一方で私が感じたのは、彼らが様々な困難に立ち向かうための逞しさ、そしてそれぞれが自分なりの対処法を見つけていたという事実でした。JRの遅れをどうやって乗り切るか、それぞれの策が生まれていました。
何人かの人々は、常に予備のバスの時刻表を持ち歩き、万が一の時に備えており、いつでも対策を立てることができるようにしていました。その準備周到さに感心しました。また、ある老夫婦は、「JRが遅れると、その日の予定は全てキャンセルする」とあっさりと話してくれました。彼らにとっては、一日をやり直すこと自体が、遅延の影響を最小限に留めるための策なのでしょう。
それぞれが自分たちの生活を守るために、工夫し、知恵を絞り、さまざまな方法を模索していました。その中には、他人が見れば小さなことかもしれませんが、彼らにとっては大切な日常を支える力となる「地元ならではの知恵」があるのです。JRが遅れるという問題を前にしても、人々は決して諦めず、自分たちなりの解決策を見つけ出していく。その姿は、我々が直面するあらゆる困難に対するヒントをくれるかもしれません。

対策と課題
私たちは「終わり」に直面しているという危機感から目を背けることはできないのだろうか?と問わざるを得ない。この終わりとは、地方の交通網が古くなり機能しなくなる可能性で、この問題を解決しなければ地元自治体の魅力も半減してしまうかもしれない。一部においては、地元自治体がリアルタイムで列車の運行情報を提供するなど、情報化によって対策が進められているが、それだけで全てを解決するわけではない。情報技術はあくまでツールであり、それが具体的な問題解決に結びつかなければならない。地方が抱える交通課題は深刻であり、その改善が急務となっている。こうした課題に取り組むためには、地元の価値を引き立て、地域資源を最大限に活用する方策が求められている。それは地方の魅力を有効に発信し、地域の魅力が増すことにより、より多くの人々が地方を訪れ、地方が元気になることを目指している。しかし、それが容易なことではないことも事実であり、これからの取り組みが地方の未来を左右すると言っても過言ではない。

まとめ
日本の最北端、北海道北広島におけるJRの遅延問題は、一見地元限定の問題のように思われがちですが、実際にはこの問題がもたらす影響は広範に及びます。単なる地方都市の問題ではなく、地元の人々の生活に壮大な影響を及ぼし、その地域の魅力を大きく左右する課題であり、終わりを示唆する強い危機感を人々に抱かせます。鉄道は地元住民の生活の足であり、地域の交通インフラとしての役割は無くてはならないものです。それが頻繁に遅延するという問題が続いていることは、地域社会の活動や経済に大きな支障を来たしています。この問題が解決されない限り、北広島という地域が持つ豊かな魅力、美しい自然、人々の暖かさを多くの人々に伝える機会は失われてしまいます。ただ、この危機感を共有することが、地域の未来を明るくするための第一歩です。地域住民や関係者が一緒に考え、行動することで、この遅延問題を解決していく必要があります。JRの遅延という”終わり”を、新しい”始まり”へと転化させることが可能なのではないでしょうか。地域の未来を切り開く希望の光として、この問題を捉え、克服していくことが重要と言えます。
